身近にある例は、ガードレールに取りつけられているクルマのヘッドライトを反射させる反射鏡である。あの反射鏡もじつは、小さな無数のコーナーキューブでつくられている。地球から38万キロの彼方にある月面の「静かな海」にある反射鏡に向けて、実用になって間もない赤色の「ルビー・レーザー光」(後出)を向ける。コーナーキューフープリズムからなる反射鏡は、その光を地球上のレーザー発信元に送り返す。光の速度は決まっているから、往復にかかった時間を「原子時計」という精密な時計で正確に測れば、地球と月の距離を数センチメートル以下の精度で計測できる。このようなことができるのは、レーザーの、これまで知られていた光とはちがう、「鋭い光」という性質のなかに、本質がある。物理の言葉で言うなら、その本質とは「位相がそろった光」である。「位相がそろった光」とはこういうことだ。光の波としての性質に注目しよう。ふつうの光は同じ波長であっても、ある瞬間を取ったときに、ある波は山の頂上の状態、ある波はまだ頂上に達していない状態、あるいは谷の状態に近づいている波もある。つまり波の山や谷の位置がばらばらな状態になっている。これを「位相がそろっていない」と言う。一方、どの瞬間を取ったときにも、すべての波の位置が同じになっている状態のことを、「位相がそろっている」と言う。位相とは周期的に変化する現象において、その瞬間にどの位置にいるのかをあらわす言葉だ。レーザーはすべての波の位置がそろった、つまり「位相がそろった光」なのである。もしも神様が天と地を創造し、すべての生物を含むあらゆる自然をつくりだし、そのときに同時に光をもつくりだしたとしても、レーザーの出現は神の予測の範囲外であったにちがいない。なぜなら、レーザーの条件は、神がつくった自然のなかには存在しないからである。人類の誕生以来、人類は自然を利用し、たいまつ、オイルランプ、ガス灯、電球、蛍光灯と、じつにさまざまな光をつくってきたのであるが、その意味では、レーザーから発せられる光は神の手を離れてつくった人類独自の初めての光と言ってよかろう。発明の優先権は神ではなく、明らかに人類にある。