就職支援がどこまでか、ということよりも、就活の制度設計に無関心な大学教員の方が多いことこそ不適切と考えます。就職支援肯定派教員・否定派教員ともに、現状の就活が大学教育を侵害していることにはうなずくにちがいありません。講義のある平日にインターンだ、説明会だ、選考だと、教育の侵害以外の何物でもありませんし。ところが、就職支援否定派の教員ほど、憤慨はしても、制度設計と就職支援を同一視して言及しようとしませんし、なぜか沈黙してしまいます。
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就職協定が廃止になったのが一九九六年。以来、就活の制度設計はまったくの手つかずです。就職倫理憲章や経済団体への申し入れなど無行動も同然であり、その間にも早期化・長期化はどんどん進んでしまいました。私は就活の制度設計に無関心な大学教員の多さが、第二次世界大戦前のドイツと同じように思えてなりません。たとえば当時、『魔の山』で有名な小説家トーマス・マンは政治に無関心でした。国家の実際面を見るのは政治家や軍人、自分は芸術作品を書けばよい、と。すると、ナチスが台頭してきます。一九三六年にはドイツ国籍や財産、ボン大学名誉教授号を剥奪され、亡命。かつて非政治的人間と称しかマンはファシズム打倒・デモクラシー擁護のために立ち上がります。当初、政治やファシズムに無関心だったマンはじめドイツ学術界と、就活に無関心な現代日本の大学関係者がだぶって見えるのです。そして、就活の早期化・長期化はファシズム同様、きわめて危険。その危険に対して効力ない申し入れをするか、ブログなどでグチる程度。これでは就活予備校化はますます進むにちがいありません。大学教員・大学関係者にお聞きします。あなたはトーマス・マンのように戦いますか?それともファシズムに近しい就活の危険な現状を見過ごされますか?